蓮如忌
蓮如忌は、元禄の頃には「吉崎祭り」と呼ばれてにぎわい、七日間にわたって執行されていた。
享保六年(1721)に自庵の吉崎御坊願慶寺が成立すると、蓮如御影は本山へ上納された。
そして、享保七年からは念一回の「里帰りの御忌」の形態へと移行したのである。
 度々の本願寺よりの文章や願慶寺蔵の蓮如忌法会記録によると、蓮如御影は京都本願寺を三月十七日に出立。
それから歩いて七泊八日間の道中殉巡教を行い三月二十三日夕刻に吉崎別院到着。
そこで七日間の蓮如忌を終え、三月二十九日の朝立って、8泊九日間の道中お立ち寄りをし、京都本願寺へかえっている。
 この蓮如御影の御下向・御上洛の道中の間、京都、近江、越前の門徒衆は、東西門徒を問わず、輿にすがって念仏を称えたという。
 そしてこの蓮如御影像は、吉崎御坊でしか拝めなかったので、他国から吉崎の参拝者も増えた。
 寛政八年(1796)の蓮如忌からは、参詣者が多いために、本願寺の裁可を得て灯か十日間となった。
 
2009年4月23日撮影

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