吉崎御坊について
 平成元年頃より、大学の先生や郷土史家の方等による当時の古文所等の調査が開始され
 蓮如が在留する前後からのからの吉崎の歩みがみえて来れました。

 御坊とは   →江戸時代に限定された制度で、本願寺直轄寺院を差しました(特定寺院)
  御坊の役割→寺としての仕事(寺務)以外、地域においての公務(現、役所的任務)をまかなって担ってきました。

 吉崎御坊は→@願慶寺がその任を本願寺より拝され「吉崎御坊願慶寺」と称した
          A吉崎で願慶寺以外「御坊」の名称を名乗ることは間違いです
          B吉崎で「お山」と呼ばれている蓮如の滞在地は「吉崎道場跡」「吉崎坊舎(多屋)跡」「吉崎殿」という名称が正式名です。
          C蓮如時代に「御坊」という名称はありません。江戸期に限定された制度です。

 御坊の形態→@本願寺から「御坊」を地域に創建する形
          A本願寺から既存の寺を「御坊」として利用する形。
           寺庵(自庵)の「御坊」→吉崎御坊は願慶寺が「寺庵の御坊」としての任を受け、住職が留守居役として実務を任されていた。

 御坊の例→井波御坊(富山)は瑞泉寺。長浜御坊(滋賀)は大通寺。高山御坊(岐阜)照連寺。畠山御坊(兵庫)は本徳寺。桑名御坊(三重)は本統寺。
         土呂御坊(愛知)は本宗寺。稲田御坊(茨城)西念寺。八尾御坊(大阪)顕証寺と大信寺。etc
 注釈→ 御坊制や別院制に関しては、明治以後、教育現場で教えてもらえる事もなく書籍による解説書もありません。
      一部の宗教の歴史学者の間で語り継がれて来たという側面もあり、残念ながらインターネットや著名辞書に掲載されている
     「吉崎御坊」に関しての解説はほとんど正しくありません。

 吉崎御坊の誤認例→@蓮如が滞在していた、通称「お山」のことを吉崎御坊とする記載 (×)
             A吉崎という地域全体を吉崎御坊とする記載             (×)
             B吉崎の寺院群を吉崎御坊とする記載                 (×)
幕末迄、「寺号」を持ったお寺は願慶寺しか有りませんでした。ほかは幕末の頃、道場が4つありました(道場とは他所の寺の出先機関等、信者の寄り合い場))

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